最近、半農半Xという生き方を知った。田舎で自給自足をしながら、好きな仕事で程よく稼ぐ(月額10万円)というライフスタイルだ。
ライフスタイルといえば、FIREがにわかに注目を浴びているし、少し前だとミニマリストという言葉も流行ったが、すべて同じことを志向していると思った。それは「消費社会と決別し、生活コストを下げ、ライスワークから脱却すること」である。
※ ライスワーク:毎日食べるため、生活費のための労働のこと。
FIREは、生活費を見直し、節約生活を叩き込み、余ったお金をすべて投資に回していくというスタイルで配当やキャピタルゲインを月10~20万円ほど確保、ゆくゆくは全く働かない、もしくは働く頻度を下げるという試みである。ミニマリストは、節約生活を更に極限まで高め、生活のランニングコストを下げる試みである。(結果、ライスワークから脱却できる人もいる、程度ではある)
半農半Xに話を戻す。実践している人のブログを読むと、月の収支のイメージがつく。食費は1人だと2万円以下、田舎の古民家を借りて家賃は3万円以下という水準感で生活していることがわかる。ここにさらに5万円の雑費を乗せても、たしかに月10万円あれば生活できそうである。生活コストの中で大きな比重を占める家賃と食費を苦しまない範囲でうまく削るという方法論の中ではよくできたものだと思う。感性を殺し、味気ない非人間的な生活に染まりきって生活コストを下げる方法もあるが、何のために生きているか分からなくなりそうだ。
農作業のペースや1年のサイクルをどう設計するか人によって違うので、これだ!とレシピ的なものはなさそうだが、体験学習のような形で半農を学べるようなプログラムもちらほらある。「半農半X やってみた」「半農半X ブログ」などで検索しても参考情報がほとんどないので、あまり定着していないのか、ブログで公開するような人とは相性が合わないのかだろう。初期投資含めて収支出しているようなブログや、1日の時間の使い方、1年の農作業のイメージや収穫量を公開しているようなものは見つけられなかった。
具体的に気になるのは、
- 半Xをどのくらいどういうペースでやっていて、どのくらい収入を得ているのか。
- 地域の人達に積極的に交わっていかなくても半農半Xは可能なのか。
- 何月に何を植え、日々何がどのくらい採れるのか。1ヶ月の食卓のイメージは。
- 家計のイメージと都会暮らしとのビフォーアフターはどうか。
など、実践者の声なのだが、全く出てこない。実践しながら学べということだろう。
インタビューなどで出てくる「兼業農家として〜」「農家を副業として〜」ではなく、生活コストを下げ、ライスワークから脱却する目的で、更には別にやりたいことないけど労働に疲れたので、という目的から半農半Xを実践している人の実際を知りたい。
野菜の収穫時期から逆算し定植させ、1年中何かしらの野菜が採れるように調整していかなければならなかったり、米の作付けに失敗すると1年間米なし生活というというようなリスクもあるが、自分たちが食べていく分を作るくらいであれば、3年位踏ん張れば、安定して半自給自足できそうではある。
月10万円だけ稼げれば良いと考えると気持ちはだいぶ楽になるのは間違いない。多少のひもじさを許容すれば5万円で良いかも知れない。好きなことで稼げなかったり、諸事情によってライスワークから脱却できなかったとしても、労働のストレスや身体的な負荷はかなり軽減されるはずだ。晴耕雨読の生活が強制的に組み込まれることで、健康増進にも役立ち、都会社畜生活では必須な健康維持のための無駄な出費が押さえられるということもメリットとしては大きそうだ。
この半農半Xという生き方、そもそも人間が農耕的な生活を営んできたという歴史もあってからか、ミニマリストやFIREに比べて、実践しているイメージがつきやすい上に、健全な生活が送れそうな印象がある。野菜という成果物があったり、身体を動かすという充実感もある。消費社会から距離をおいているという自己実現も満たされやすいだろう。一方で、都会暮らしを捨て、田舎で暮らすという意思決定をしなければならない点においては、FIREよりは初期のハードルが高い。ほどよく都会に浸っていたいというような人にとってはFIREのほうがマッチし、今すぐに始められるという意味ではFIREが流行るのもよく分かる。ここは好みが分かれるところだとは思う。
とここまで書いておいて何だが、どうやらブームは静かに終わっていそうな雰囲気。
このブログによると、
- 田舎暮らしは飽きる。楽しいのは最初だけ。
- 半Xで好きなことして10万稼ぐのも相当しんどい。家族養えない。
- 農作業がめちゃくちゃ大変。農業はハードワーク。
とのことだ。まあ想像に難くない。
半農半Xは置いといたとして、そもそもライスワークがしんどすぎることは問題だ。生活費のために労働しているうちに、1日が終わり、1年が終わり、人生が終わってしまう。人生における積み上がりがない。
人生で何を積み上げるかは、走りながら考えることはできないと、個人的には思っている。それを考えるには、時間的余裕と精神的余裕が必要だ。赴くままに書を読み、ほどよく消費し、対話し、考えるといった、豊かな生活を送るなかでぼんやり見えてくるのだと思う。ネズミ車を回して息切れしている中で考えられるのは「しんどい、辛い、降りたい」だけである。ネズミ車から降りて、初めて、外の世界に想いを馳せることができる。
そのための手法は、FIREでも半農半Xでもサバティカルでも良いと思う。労働に人生を奪われないためのライフスタイルは、時代を超えて求められている。