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Site icon imageちちもブログ

日々の徒然

自己欺瞞と幸福。

世の中に溢れているが、情報弱者にゴミノウハウを売りつけるゴミビジネスについて思うところがあった。基本的に他人がどう生きようと外野から何を言うことでもないと思っているが、自分の近くの知人が手を出していることを知り、なんだか心の整理をしたくなった。(話はそれるがその人は、自己愛性パーソナリティ障害っぽいところがある。こういったビジネスに必要な特徴を備えていて手を出しやすいのかもしれない。)

自分が観測できる範囲内で、自分の道義に反することが平然と行われる気持ち悪さ。一方で、自分の道義に反している事象を世の中から消し去りたいというスタンスは危険だとも認識している。自分の道着に反する行いの存在自体は認めるが、価値は見い出せないので関わらない、支持しないというスタンスを取ることで折り合いをつけた。

話は逸れるが、法律的な正しさと、道徳的な正しさが混同されてしまうという話がある。

法律は、法的な安定性や人権や平等という思想が根本にあるため、道徳的に正しいかどうかに根ざして設計されていないが、道徳は道徳で、正しさが状況と立場によって変わるにも関わらず、適法=道徳的に、世間的に正しい、というレッテルが空気によって貼られがちだという指摘がある。

法的に正しいが、(少なくとも自分のスタンスからは)道徳的に間違っているという事柄を考えたときに、しかもそれが知人という関係を持たなければいけない人間(関係値を断ち切りたければ断ち切れば良い)によって行われている状況で、どうやってその人を説き伏せることができるだろうか。

例えば、その人が嘘をついているから悪である、という指摘を考えても、嘘をつくという行為の是非は言えない。一般的に、嘘をつくこと自体はストレスを生むというが、それを難なく出来てしまう人にとっては(息を吸うように嘘をつく人は)、ストレスに感じない。(ので、嘘はあなたに取っ手良くないよとも言えない。) 嘘をつかない方が良いという刺し方ではなく、嘘をつくことで社会に被害が出た場合に、それは良くないと追求するスタンスが現実的なのでは?という意見には同意した。

嘘はついているうちに苦しくなくなってくる。それは、嘘をつくことのストレスから逃れるため、無意識に自分を騙しているからだと思われる。自分の中で対立した考えが存在している場合に、不快感を覚える現象を認知的不協和と呼ぶが、これを自己欺瞞(自分を騙す)ことによって乗り越えているのだと思う。どちらかの考え方をなかったことにし、自分を騙し、実際に行動で整合性を取るのである。

ここまでやってのけているのであれば、もう外野からどうこう言って動かせるものでもない。完全に思い込んで、それが現実として本人にダメージを与えていないからである。幸福の観点からは、(健康、人間関係についで) 自己決定が幸福度を高めるという話があり、自分が納得していれば幸福(=納得していないと不幸)になってしまうのである。

幸福感と自己決定―日本における実証研究

翻って、自分の幸福を考えたときに、自己決定を信念と言い換える事ができるとして、信念に従って生きる、納得感を持って生きることが、幸福度を上昇させるといえる。相手がどうであれ、自分のポリシーに従って、自分の納得したことを為していくということは、幸福度の最大化につながる。

これは、良く言われる、アンダーマイニング効果にも沿っていると思う。
※ 好きでやっている作業に金銭が支払われると途端にパフォーマンスが落ちるあれ。

自己決定は、自分のうちから湧き出るもの(内発的動機づけ)のみによるわけではなく、外部から何かしらの刺激(外発的動機づけ)が与えられて行動しているうちに、それがあたかも自分で生み出した選択肢として自分の内部に形成されていて、それを選びとることによっても可能である。やらされだった仕事が、自分ごととして捉えられるようになり、それが幸福に繋がっていく現象がまさにそれである。

また、どう動機づけされているかによらず、人間は何事かを達成することで脳内麻薬が出ることも知られている。自己肯定感がセロトニンを出すという話もあったりする。

ここで再度最初の問題意識に戻ってみると、当初は有名になりたい、儲けたいという羨ましさなどの外部的な刺激から、自分の道義に反する行いをしていたとしても、完全に自分を騙せるようになると、行い自体に幸福感を感じるし、目標達成でさらに幸福感を感じていき、実際に幸せに生きていくことが可能なのではないかという結論になる。映画や小説では「本当はこんなことやりたくないんだ…」なんていう悪人が出てくるが、現実はもう少し残酷かもしれない。(まあ自己欺瞞という夢から覚めたときの罪悪感はありそうだが)

なんだか割と自分にとっては救いのない結論になりそうだなと思っていたが、最後に、利己を見越した利他ではなく、共感に基づく利他的な行動を取ることが、幸福度を上げるというのを見つけた。己の善に従って生き、他者と共感するのも捨てたもんじゃないかもしれないと思った。