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Site icon imageちちもブログ

日々の徒然

広大な土地に広がる、優しさと人間らしいコミュニケーションの国、アメリカ。

年末年始を利用して(2016/12/30〜2017/01/06)Las Vegasへ行ってきた。合計7日間と短い滞在だったけど、大学生の頃に行ったときには感じられなかったことや、考えられなかったようなことが考えられて、自分の思考の幅がすこしは広がっていることを感じられてよかったとともに、アメリカのスケールのデカさが随所に感じられて圧倒された。ちなみにLas Vegasとは「牧草地」という意味だそうで、その昔砂漠のオアシスだった。ゴールドラッシュ時に拠点として定住する人があらわれ、税収確保のために賭博を合法化したことから現在のような観光地になっているそう。へえ。

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年越し直後。Las Vegas Blvdが歩行者天国になって、歩けないほどの人であふれかえる。そこらじゅうにDJブースが出て飲めや騒げや抱きつけやの乱痴気騒ぎ。音楽と酒とありとあらゆる人種の男女。パーティー。

エンターテイメントにおいて「人間のコミュニケーション」がとても重要視されている。

多くの人が集まり、世界でもトップレベルのエンターテイメントが集まっているであろう世界でざっと触れた感想として、エンターテイメントが目指す価値は「人間のコミュニケーション」なのかなと思った。「Zumanity」がそれを明確に印象づけてくれた。PSVRで衝撃を受けたばかりで、あらゆる空想世界が眼前に表現される可能性に未来もみたけど、人間同士のふれあいというものがどれほど大事で切実で、欲に対してストレートなものなのかということを思い知った。人は人に感動したいし、人は人とふれあうことが楽しいし、人は人に可能性を感じることに価値を見出す。そこにお金を払う。そういった部分をモロに突いてくる。そんなエンタメがあった。

人は自分と同じ人間という動物がどんな可能性を秘めているか、動物としてどのくらい美しいか、その人がどんなことを考えてどんな人生歩むのか、自分の人生にどういう影響を与えてくれるか、そういった部分に興味があって、その媒体としてショーがあると考えると面白い。ショーはきれいだし、驚きに満ち溢れているし、パフォーマーは人間の素晴らしさを表現してくれている。大掛かりな仕掛けや演出はそれを増大させてくれている。多くの工夫と労力が投入されている。カジノは賭け事を通じて、言語を超えたコミュニケーションがあらゆる世界の人と可能になるというのが素晴らしい。人種やステータスが全く違う人と、言語なんか大して通じない人たちと、賭け事に勝つという1点のみにおいてつながり、喜びを共有する。これができるのは他にスポーツや歌やショーなどもあるだろうけど、もっと近場な本人同士のコミュニケーションとして成立するのが魅力。一緒にゲームに興じている人と興奮を共有する、パフォーマーを通じて人間について考える、自分について考える。生々しい熱が伝わってくるのが素直に面白かったし、日頃、デジタルコンテンツにばかり触れていた自分が忘れていた部分でもあった。

瞬間移動すごかったけどやり過ぎ笑。カミソリの刃を飲んで血まみれになるのは圧巻だった。ただ、仕掛けがごてごてしてて、「なんか仕掛けがあるんだろうな」と悟らせてしまうような作りになっていたのは残念。空中浮遊は仕掛けが全くわからなくて、あれでステージから観客の方に飛び出してきたら大喝采だったろうけど、ステージの奥の方でフワフワしてたから微妙だったなあ。

影絵と移動する垂直の壁。砂の舞台。大掛かりな仕掛けが印象的なステージ。崖に近い、20mはあろうかという壁にぶら下がって、そこに投影される岩肌の模様。ほぼ映画。最後は垂直な感圧式?ディスプレイの上で立ち回ってて、演者のアクションに応じてディスプレイが反応するような仕掛け。奈落の使い方も大胆で、演者が落ちるたびにドキッとする。席に座った瞬間からショーが始まっていて、サクラがカメラでパフォーマーを撮り始めて、奈落に落とされる演出もびっくりしたなあ。ショーの世界と現実のスイッチがなめらかというか、意識させないような作りになっていて、すっと世界に没入させられた。

アクロバットやコミュニケーションは、ちょっと物足りなかったけれど、ステージ上に出ては消え、消えては現れるプールが意表を突いてくる。飛び込み選手と思わしき人たちが次々と地面ギリギリのプールに飛び込んでいくのがハラハラする。夢のような混沌とした世界を表現している。あべこべな感じ。水の美しさをもうちょっと工夫してもいいかなと思った。空中に浮く水の塊を操るとか、虹を作ってみるとか、平面の水を作ってコントロールするとか。プールとしての水だったから。「フエルサブルータ」は、頭上に現れるプールに触れる(ゴムのようになっていてボムボム触れる)のが面白かった。このくらいしてもいいかなと。

ここからが本当に素晴らしいと思った。

ダンサーやパフォーマーがトップレスで絞り抜かれた美しい身体でアクロバットとダンスを繰り広げる。一番釘付けになったのがこのショー。動物として本能的に感じる美しさ、性(セックス)の素晴らしさ、人間の能力の限界を、命の危険を犯して、余すことなく表現してくれていた。演出は、パフォーマーの息遣いのみのサウンド、心臓に響くビート、艶やかなライティング、がコアの表現を際立たせていた。細かい部分でいうと、例えば着地のトランポリンがベッドの装飾だったり、その後ろにグランドピアノとムーディな雰囲気、と物語に没入させる部分、非現実的な組み合わせのまるでCGアニメのような部分をリアルにステージ上に表現することに関しては徹底していた。このあたりの物語化(用意した世界観への没入)はシルク・ドゥ・ソレイユ共通してアイデアが素晴らしい。観客とパフォーマー(司会)とのやりとりが多いのも特徴。観客がステージに上って、みんなで盛り上がる。日本だとなかなか成立しないだろうなと思った。オープンなコミュニケーションが得意な人が多いであろうアメリカ特有なのかな。性愛に関しても、キリスト教教育がある程度浸透していたり、人種が違う人が身の回りに多かったりする関係で、アジア人より考える機会が多かったりするのかな。

アジア人相手にもしっかりエンターテイメントしてくれた。仕事人としてのプロ根性が垣間見えた。上半身裸のストリッパーがポールダンスをしてくれて、1ドル札をステージに投げたり、手渡したり、パンツの紐に挟んだり。それだけだと何が面白いかわからないんだけど、かるい会話ができたり、それ次第でダンスサービスしてくれたり、ニッコリ微笑んでくれたり。たったそれだけの差異だったりするんだけど、絶妙だから、もっと近くにいてもらおう、もっと彼女を面白がらせるようなことを言ってあげようと、夢中になっていく。コミュニケーションの危うさ(演じているのか、本当にちょっと優しくしてくれているのかかが分からない)が面白いのと、なんでこの仕事をしようと思ったのかを想像し、それでもストリッパーとしてプロに徹しているのが見ていて爽快。下品なエロティックさは皆無だった。他のお客さんと盛り上がるのも楽しい。女性客も結構多くて、女性だけのグループもいた。中に、メキシコ人と思わしき家族(親父、母親、息子)が来ていて、子供の通過儀礼なのかな?子供も親の前でぎこちなく、母親は居心地が悪そうで。父親は金をストリッパーに渡して「息子を男にしてやってくれ。」と言わんばかりの。あれはなんだかすごい光景だったなあ。

生きている間にこういった体験をできることに感謝した。時代が違えば体験できないことが、今生きていることで可能であること。例えば、飛行機といった技術、インターネットという情報源、ストリッパーが可能になる倫理観の成長。人は体験をするために生きているんだなと解釈することもできて、人とふれあい、喋り、影響し合うということが人間の本分のひとつなのかもしれないなとも。しょうもない自分の価値観やちんけな安定に縛られて、この時代だからこそ可能になった体験を、敢えてしないのは損だ。優しくされて、フィードバックして、コミュニケーションして、人を素晴らしいと感じて、幸福になるために生きている。

とにかく広いがゆえにいろんなことができている。

国土がでかすぎ。グランドキャニオンにレンタカーで向かったけど、ひたすら続く直線道路と砂漠を時速130kmくらいで爆走しても5時間かかった。延々と地平線が見える。こんだけ広い土地がまだ余っているってものすごい資産。日本の自治区とか普通に東京より大きい土地レベルでつくれるだろうな。インフラ整備と物資輸送の整備がとてつもなく大変だろうけど。こんな広大な土地を持った国と戦えるのか、日本。どう考えても資源とか効率化させる仕組みとかそういった部分ではアメリカに軍配が上がるだろうなあ。CES2016にも行ったけどとにかく会場が広い。とても1日じゃ回りきれないレベル。(東京ドーム5個分だと。)スーパーやちょっとしたコンビニ(ガススタンドに併設されているのが常)も敷地がとにかく大きくて、いろいろな種類の商品が所狭しと並んでいて、敷地が広いがゆえに効率化されて切っていない部分が残されていたりもして面白い商品だとか試みだとかも容易にできそう。「スペース=金がかかる」という発想を持たなくていいので新しいことが簡単に試せそう。だれも見ていないような砂漠や空き地もたくさんあって、バイク改造したり、車改造したり、ロケット作ったり、ラジコンヘリ飛ばしたり、ショットガンでスイカ撃ったり、そういうワイルドな遊びも発達しそう。ドローンで空撮、広い長い直線道路を自動運転、非通勤ワークスタイルが、切実にフィットするのはこのアメリカの広大な土地が背景にあるんだということが理解できた。プライベートジェット、必要だよ。この広さじゃ。Las VegasのLas Vegas Blvd沿いにも大きなホテル、大きなアトラクション(噴水や火山や海賊船やレーザービーム)があって、客引きもスケールがでかい。それこそ、ホテルのロゴとともにSNSで共有されたらインパクトは大きいだろうし、カジノへの集客は抜群だろうなと。日本にカジノができると言われているけれど、狭い土地でどうやってこのビジネスモデルを模倣するかが難しい。大きなホテルが何十個も密集し、お互いに送客しあっているがゆえに規模が大きくなっていると思うし、大きな箱+大きな客引きアトラクション(ショー含む)+収益回収のためのカジノがうまくワークしていると思う。異なるテーマのホテルがあるから飽きないし、ショーや食事やクラブやショッピングと、王道のエンタメ施設は一通り揃っている。あきればクソ広い荒野にエクスカージョンに出られる。素晴らしい。どちらかというとシンガポールみたいなレベルに近くなるだろうけれど、せっかく湾があるので、クルーズ周りを充実させて、海上も敷地と捉えて、船上エンタメを充実させるとか、メガフロート作るとか。清水建設ファイト。

CES2016で印象に残ったものを幾つか。日本の展示会より流石に多種多様なプロダクトが多かったけど、レベルはそこまで変わらないように感じた。なんというか、ひとつひとつの完成度高めだし、種類も多いのだけれど、今すぐ欲しいかと言われると少し躊躇してしまう。toCのサービスだとどうしてもそれだけで評価されてしまうので、働いている人の賢さとか、業界知識とかが活きてこないのがもったいないと思う。爆発すれば素晴らしいけれど、爆発したプロダクトなんて、そうそうなくね?という。実体験としてスマホくらいしか人口に膾炙したプロダクトがないような状態で、少し便利になるし自分たちでもサービスを成立させられるからという理由で、とりあえず身の回りの問題を解決してみた感。業界の問題点を解決するようなサービス(近年ではUber)ではなくて、独立したモノのプロダクトというのは、市場に受け入れられなかったときにしんどくて(受け入れられてもパイが小さくて)「クールでアプリもきれいで安いけど別に要らない」というものが多すぎる。クリティカルじゃない、小さな問題を解決するのは身近で面白いんだろうけど、せっかくあんなに大きな土地と、解決すべき大きな問題が山ほどありそうなのだから、そっちに行けばいいのになと思う。車内エンタメとか、遠隔会議とか、無人で中央管理でアメニティ補充してくれるシステムとか。(「Beam」が秀逸だった。)EHANGの一人乗りドローンも色々言われているけれど、テキストメッセージや配達が来たときに光るペン先とか、電気やエアコンを消し忘れていたときにブーブー震える小型のおしゃれなキーホルダーなんかよりよっぽどマシ。

▶ ballooncam(Panasonic)

日本国内で特許を取っているらしく、日本での使用に限られるとか。オリンピック開催時にはこれで広告がばらまかれるんだろうか。解像度がわるかったりとか、その場の人の感情を表現して投影するよくわからん機能があったりしてもうちょっと改善は必要そうだったけど。

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▶ Beam(Suitable Technologies, Inc.)

タイムラグが全然なく、「ついてきて」と普通に歩きはじめても、テーブルを避けて難なく付いてきた。(相当練習したのかもしれないが。)グランドキャニオンでアメリカ内での移動の辛さが身にしみていたのでこれはオフィスに浸透するなと思った。存在感は高い。ビデオ会議で良いかなとも思うけれど、移動+リアルタイム会話で、ほぼそこにいるかのようにふるまえるので、お願い事とかもしやすいと思う。何と言っても、働いているんだよということがが伝わる。

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▶ Kino-mo Hypervsn(Kino-mo)

仕組みとしてはLEDの棒を点灯パターンを制御しながら回転させているだけなんだろうけど、完成度が秀逸で、ホログラフィーのようにみえる。(止まった現物を見せるのは無理!と断られた。)

一見すると驚きでShareしたくなる気持ちを上手く使って同時にRTキャンペーンを展開していたのも素晴らしい。

移民国家のシステマティックな部分。

UberとLyftはかなりプッシュされてたな。移民の働き口になっているのかな。ホテルの清掃員とかは一人残らずメキシコ人だった。そういった職業の住み分けが徹底されていそうだったのと、もう一つ印象的だったのが、自分の仕事の範囲を決して逸脱しないこと。サーバーは食事を運ぶことしかしないし、ウェイターは席の案内と調整しかしない。ホテルのラウンドリーサービスを使ったときも、3つも部署をたらい回しにされた。(フロント、ベルデスク、ラウンドリー)これぞアメリカという感じで、本当に自分の領域の仕事しかしない。逆にいうと、自分の仕事はきっちりこなす。愛想のいい人も中にはいた。(が、決して越権して余分なことはしないようにしていた)知らぬ存ぜぬ、他の人に聞け、あいつに聞け、の態度は一貫しており、ときに不便を感じることも多かったけど、責任の所在ははっきりするので、いろいろな人がいる社会ではやりやすいんだろうなとは思った。知ってはいたけど体験したことがなかったので、こういうことかと。はっきりいってドライ。だけどそれは仕事としてのドライさで、一緒にカジノで話したり、フードコートやタクシーで話たりするとおしゃべり好きでいい人たちばかり。(ショッピングモールのHolister前で、ホームレスみたいな格好してた人がしゃがんでたんだけど、アップルウォッチしてるし、靴はきれいだなとおもって話しかけられたままに話していたら、AppleのOSエンジニアだったという出会いもあった。)

統一感のある景観。

これはどうしてだろう。日本についた途端、日本の空港ってか日本の建物とか設備とかダセえなって思う。デザインが行き届いてないからなのか、安物を安物として上手に活用できていないのか、米国デザインへのあこがれなのか、あらゆる部分がダサく見える。これは本当に謎。ひらがなと漢字とカタカナとアルファベットが入り混じったテキストが問題なのか、色使いなのか、丁寧すぎる説明文なのか、素材の質感なのか、システマティック化されきっていないが故に統一感がない部分なのか、とにかくダサい。カーペットの色や配置、建物の看板、ゴミ箱、電車、広告、標識、制服、レジ、食べ物のパッケージ、テレビ番組、あらゆる部分が無駄に装飾されているようにも感じる。もっと割り切って、削ぎ落としても良いのかもしれない。ちなみにテレビ番組は、ニュースとスポーツとディスカバリーチャンネルくらいしかやっていない印象で、モデル兼タレントが出ていて、どこそこのお店が美味しいだの、こうやると節約できるだの、といった生活臭満載のチープな情報番組に類するものがなかった。そういった志向の違いからも、日本の雑多で卑近な好みがあるがゆえの統一感のなさというのが出てしまっているのかもしれない。小さな国土で平和に単一人種で仲良く暮らしている日本では、それはそれで最適化されていて良いのだろうけれど。

さて、こんな国と日本が戦うにはどうしたらいいか。なかなか解が見えてこない。サービスを展開しようにも、パイがそもそも違う。資源も少ない。ニッチオブニッチになってしまう。テクノロジーで戦える企業も限られている(TOYOTA、Panasonic、SONYなど)。SoftBankは資金をうまく使って世界に打って出ている。すごいよSoftBank。頑張れSoftBank。とはいえ、アメリカ国内も、GE、Ford、Walmart、AT&T、Google、Amazon、Facebook、Microsoft、IBMなどの巨大企業に牛耳られていて、ベンチャー企業が小さい問題解決に向かっているのもわかる。Go Bigがいつの時代もどんな状況でも正義と思いはしないけれど、常に見据えたい自分としては衝撃と絶望を味わった。今回度肝を抜かれたことは忘れないでおきたい。広大なスケールに広がる、優しさとコミュニケーションと人間らしさを教えてくれた国でした。