英単語力が必要だと思っていた英会話に必要だったのは呼吸の仕方でした、とか、そういう話。なんか伝わらないのはドンピシャの単語を知らないからではなく、呼吸が悪くて発音に影響していたからだとかそういう話。普通、英会話のために呼吸の練習はしない。だが「呼吸が大事」と言ってるのを聞いたことはあるかもしれないし、言ってる人もいるが、まず真に受けない。自分にはまだ必要ない、自分の課題ではない。でももしかして、と試してみると、すべてがそこを起点として生まれていた課題だと分かったりする。そこを治さない限り、永遠に理想の形をなさない可能性すらある。
将棋でいうと、自分の戦略の幅が足りないから引き出しを増やそうとしてたけど、実は相手の戦略を見抜く、相手の戦略幅を理解し、想定できる力が重要でした、とかそういう話。プロ棋士が自分を磨くために練習しているように見えても、実はそれは相手の出方を知るための研鑽だったりすることを知るみたいな。どこに力点を置くかがだいぶ変わるし、得られるものの種類も変わってくるので、あのままの自分だったら、永遠にプロ棋士と同じ思考には至れなかったことに絶句するというような。
目の前の課題が、見えている課題を、解決したとして、理想の形になるかは分からない。むしろ、異なる視点の、異なるレイヤーの課題を解決することで、何の意識もすることなく、今見えている課題が同時に解決、いや、霧散する可能性がある。文字通り、課題がなくなるのである。そもそもの課題が別の目に見える小さな解決できそうな課題を生んでいるだけであって、目に見える課題は、ただそこに生まれてしまった解決しても意味のない課題である可能性がある。

このモグラ叩きのゲームでいうと、たまたま打ちどころが外れて、筐体の胴体をぶっ叩いてしまったら、小モグラの数が明確に減った気がするので、意図的に胴体を叩いたら、小モグラが目を回しているという気づきから、親モグラの存在を感知すると言った例えがわかりやすいだろう。
これは無いだろという方法を試してみたらそれが本当に解決するべき課題を解決するために今必要なものだったということが続けて起きた。大胆に変えてみることで現在の課題の相対化ができた。
要するにバイアスがかかっているとも言える。普通、解決策は、この方向性のここからこのあたりまでの範囲だと思っている。これは無いだろは、ほぼ真逆の方向性や視野を探ることになるので、今までの考え方を脇に置く必要がある。もう少しで解決できそうだったのに、と考えないことだ。
実はその本当の解決策というものは、世間一般で言われ倒していることが多い。ただ、それを理解するための自分側の条件が欠落していて、その条件が見つかるまでは、その解決策が存在する方向性自体が正しくないように見えてしまう。なので最初から選択肢から除外してしまう。
その条件が自分の技量だったりタイミングだったり、現在認識して解こうとしている課題の種類だったり、様々だから難しい。だから最初は不可能に思えるし、その方向性は好きじゃないというような理屈じゃない理由で排除していたりする。でもしつこくやっているとそれが理解できるようになる。取り入れられるようになる。
世の中の当たり前を疑い、自分の当たり前を疑う。大胆に変えてみることで見えるものがある。
