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日々の徒然

Netflixで「火花」を観て、破天荒に生きる怖さを感じた。

TwitterのNetflixの「火花」のPR動画をみて、今まで全然興味が湧いていなかった「火花」が俄然見たくなって、衝動的に観た。

久しぶりに、ドラマイッキ見した。(約10時間)

このPR動画の、「それ、模倣ちゃうんですか?」っていう部分で、あらかたどういうことが起きるかがわかってしまったけど、この波岡一喜さんの目つきが異様に気になって観た。

見ていて、ドキュメンタリーだっけかなと倒錯してしまうくらいのカットの長さが特徴的だな、と思っていたけど、意図的っぽい。

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そしてそこで、普段だったら観る側に生まれることのない、「考える余白」が十分に与えられていることで、自身と重ねる時間ができ、結果、共感=感動が生まれているように思える。実際、自分の共感度は高かった。

この「火花」で描かれている主人公徳永、先輩芸人神谷の気持ちや境遇は、あらゆる分野で「挑戦する人」に当てはまるような共通項が多いように思う。

面白いことを突き詰めて、自分が面白いと思うことに妥協せず、他人の評価には目もくれず、常に自分の基準の正しさを信じ、共感してくれるものを心の拠り所にし、共に同じ価値観を持っていることを最大の価値とし、それ以外はゴミとみなしている徳永と神谷。

彼らの現状は芳しくないが、それでもいつかその価値に気付いてくれる時が来るはずだ、と狂気的に信じている。

物語中盤にさしかかり、徳永は夢への切符を手に入れかける。だが、大衆に迎合せざるを得ない状況に混乱し、一度は迎合するものの、結局は自分を信じ、最後までピエロをやりぬくことはなかった。神谷は己の道を突き進み陽の目をみない。もちろん大衆迎合した徳永を認めない。

そんなときに、神谷の身の周りで神谷自身を揺さぶるような出来事が起き、それ以来徐々に歯車が狂い始める。

自己犠牲の限りを尽くしても残酷なまでに実りのない、笑い。それでも、周りに同じような境遇、そして共感者、それを少しでも「神谷さんはイカれてる」と面白がってくれるがいる間はへっちゃらだった。そう、批判でさえ(おそらく、批判こそが、常軌を逸していることの裏返しであり)、彼に対する賞賛であった。世の中がこれから絶対に自分の面白さに気付くはずだ、と信じられている間は。

経済的にも、人間関係的にも、破天荒であることが、面白いと思われることである、と(そこまで自分を客観視できていたかは不明だが)脳内変換し、そして実際にそう生きる神谷。そう信じて、徹底的に自分の美学を貫き通す神谷。

だが、貫いても貫いても出ない結果の果てに、自分の面白さがだんだん信じられなくなり、自分が信じられなくなり、裸の王様であったことが「出ない結果」によって突きつけられはじめ、怖くなり、おかしな方向に人生のかなりの部分を踏み込んでしまっていることに最後の最後にようやく気付く。

自身の拠り所であった「俺だけが一番おもしろいことを知っている」が崩壊し、自分を客観視し始めてしまう神谷。もう、わからなくなってしまっている、と。

最後のシーンでは、「それでも生きてるからいいじゃん」というメッセージに受け取れたが、この作品全体を通じて自分が受け取ったメッセージはは、もっと、そういった「生きてるからいいじゃん」という開き直りを許したくない、そんな人間になりたくない、そう思って生きている人たちの生きざまをみて、感じとれる部分だったように思う。

自分の信じる道に狂っても狂っても誰からも見向きもされず、それでもいいと覚悟した人の、虚空の末路(いや、それでもまだ人生の途中だ。終わっていない。)を観て、とたんに、自分がそう生きれるかと問われた時に、Yesと言えるようなものはないし、怖い。そう本能が言っていたのを、忘れられない深夜4時だった。