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Site icon imageちちもブログ

日々の徒然

過去の自分を救うような記事を書く。

このブログのどこかの記事を通じて「資本主義というゲームに疲れ、飽き飽きし、もう解脱したいんだけど、なんでそもそも疲れてるのかが分からないのでそれを考えたい人」の一助になるようなことを書きたいと思っている。

これは、自分自身、「資産形成をしたとしてもたかだか3億円程度の金のために30年あまりの時間を労働に費やす必要があるという地獄」に絶望した経験があり、このあと起きることなんて大して面白くないだろうし、これをやりたいみたいな目的もないし、もう生きていてもいなくても、今すぐ死んでも結果は一緒だなと思っていた過去の自分に向けている部分もある。

その時の絶望から抜け出すきっかけをくれたのが、とあるブログ記事だった。

そこには、幸せの捉え方や、絶望する構造などが書かれていたが、やはりどうしても、抽象的で、日々の気だるさとは向き合わなければならないと感じさせるものだった。当時の自分は、その時抱えていた気だるさや諦観から抜け出すための、もっと具体的な方法を探していた。

もう労働なんてまっぴらだと思う一方で、どうせ社会で労働を強いられるなら、自分の労力が誰かのためになっていると信じたいと思った。できれば自分が納得感を持てる目的のもと、その一部が誰かに搾取されようが、それなりに満足できるような、そんな労働をしたいと思っている。

自分が責任を持って、納得感を持って、社会にとって「これは必要だと思う」と胸を張って言えるようなそんなことをしたいなと考えた時に、まずは過去の自分を救ってあげられるような、そんな記事を書いてみることが今の自分にできることなのかなと思った。

  • なぜ働くのか。仕事はどうあるべきか。
  • 消費とはなにか。お金はどのくらい必要なのか。
  • 幸せとはなにか。人生の目的とはなにか。
  • 資本主義の憂鬱はなぜ生まれているか。

といった背後のテーマに沿って、具体的には、

  • 給料上がらないのに頑張るのって誰得?
  • お金はもらえるけど、全然楽しくないのってどうして?
  • 他人と比較することが不幸の根源なのでは?
  • 憧れの生活って、本当に憧れ?
  • こうなったら良いなを達成したら自動的に幸せになれるの?

というようなものについて自分なりの考えを述べていければと思う。

これが過去の自分にとって「ああ、この考え方、救われる。なんとか明日も生きてみるか。」と思うきっかけとなるようなものになれば良いと思う。今の自分にとっても「この記事を書いたことによって、やるべきことや大事にするべき考え方がよりシャープになった」と感じられるようなものにしたいと思う。

生きづらい世の中を少しでも生きやすくする、それがブログを書く目的の一部である。