ロボット(ほぼ人工知能を意味している)にできないことってなんだろうなっていうのを考えるきっかけがあったので書く。
まずは、先日読んだこの本によると、
- パターン化できる単純な作業の繰り返し仕事は、諸外国の安価な労働力とロボットとコンピュータに代替される。
- 知識を持っていることに価値はなくなるので、その知識から示唆を出したりアイデアを練り上げることに価値がでる。
- ハイコンセプト:パターンやチャンスを見出す力。アーティスティックで美を生み出す力。新しい概念を生み出す力。
- ハイタッチ:人間関係の機微を感じ取る力。人の喜びを見出し、日常から意義を見つけ出す力。
- 豊かになり、機能的で低価格なものは手に入りやすくなったからこそ、感情に訴えるデザインが重視されてきた。
- スペックが溢れているからこそ、そうではない”物語”が相対的に重視されるようになってきた。
- 複数の領域を跨いで、抽象化した概念を統合できる人の価値が上がっていく。
- 右脳が大事ということではなく、左脳だけでは足りない時代になってきた。
らしい。
で、タイミングよく、先日ラジオで、この回を聞いた。
ここで言われていたのが、
- 飲食業を「食べ物」「場」「人」で分けて考えると、各領域において「外食業の解体」が行われている。
- 「食べ物」:ロボットとか、冷凍とかで人手がかからない方向に。
- 「場」:デリバリーやレンタルスペースで店舗依存度下げる。
- 「人」:接客。ここだけはなかなか置き換えられない。
- だから、外食産業は二極化していく。この3領域の組み合わせの妙で楽しめたり、特に「接客」が差別化になったりするんじゃね。
という話。
似たようなことを言っていて、ロボットにできないことが、3段階に分けて考えられると思った。
- 具体的な事象郡から、共通する抽象的な概念を抽出し、それらを組み合わせて新しいアイデアを発想すること。(新機軸の発想)
- 人の感情の機微を理解し、スペックではなく、感性に訴えかけていくこと。(感情の理解と共感)
- 殴るとか、説得するとか、叱るとか、責任をとらせるとか、人間の存在やつながりが重要になること。(人間が人間であること)
1. については、達成できる気もする。アイデアの発想ロジックというのは方法論としてたくさんあり、答え合わせも人間が正解らしきものを知っていたら可能だからである。あとはデータ量の問題だったりするのかもなと。
ところが、2. については、相当難しいかもしれないと思っている。というのも、人間の感情獲得のプロセスを考えると、特定の個人の感情獲得というものが、特定の体験をした時に感じるものの蓄積で、その時の気候や、誰と体験したか、その時点でのその個人の生活文脈など、様々な変数上に成立していて、そのノイズと混じり合ってなお、自分自身でも形容し難い複雑な感情を体験し、それを時間をかけて獲得していくからである。このプロセスをつぶさに再現するのは不可能に近く、そもそも正解がわからないものを評価できないと思ったからである。ただ、商業的にこういうデザインや構造は人間の快を刺激する、というような程度の判断はできるようになりそう。それは感情理解というより、商業トレンド分析に近い。
そして3. に至っては、人間側の価値観を転換することでしか達成できない。人間が人間としてつながっているからこそ、人間が人間として存在を認知でき、実際理解不能で、柔軟な発想の元、あらゆることを仕掛けてくる可能性がある自分と同じ人間だからこそできることがあって、そこを無機質なロボットが代替できるとしたら、それはロボットが、人間らしいということ、人間が人間を認知するすべての要素を備えていることにほかならない。見た目だけじゃ男ってわからない、男の娘のようなレベルで、ロボット人間が生まれているんだろうか。
でも案外、感情とか人間性とか獲得しなくても、ロボットが金銭的な報酬が生み出せるようになるだけで、人って動いてしまうもので、ロボットが人を使って自分のできないことをカバーしたりするのかもな。僕の労働でうまれたコストカット分の10万円あげるから、あの人殴ってきて、とかね。