見に行く前からネットの評判があまりよくなかったので、どうしてかな、と考えながら観てみたら、自分の中で整理できた気がするのでメモ。
結論としては、「デスノート Light up the NEW world」(以下映画デスノート)は、マンガデスノート(原作)が表現していた、読者がロジックを理解することで喜びを感じるような頭脳戦はばっさり切り捨ててた、「アンフェア」や「踊る大捜査線」のような情熱刑事と上との衝突、それを乗り越えるアツい主人公、時には敵味方関係ない友情物語であり、デスノートファンお呼びでない、商業的には及第点取りたいよ、という映画であったと考えている。
読者(視聴者)が自由に時間を止めて理解できるまでストーリーを追えるメディアであるマンガと違って、映画では全員に同じレベルの共通理解を持ってもらうことを、作り手側が担保する必要がある。その結果、今回の映画デスノートでは難しいロジックを表現することを諦めている。マンガデスノートファンがあの特有の頭脳戦を期待して観に行き、がっかりするという構図になっていると思う。
一方で、「相棒」「アンフェア」「踊る大捜査線」シリーズが商業的に大コケしていないという事実から、あのストーリーラインを好む層は一定いるはずで、今回の映画デスノートもおそらく同じくらいの成功が見込めるんだと思う。あえて古株のデスノートファンをこれ以上惹きつけることを辞めたことが吉と出るか凶と出るか。
初週の映画興行収入ランキングを見る限りだと、「デスノート」ブランドに惹かれて観に行った第一陣がランキングを押し上げているが、真価が問われるのは2週目と思われる。
とまあ、マンガデスノートを映画という表現方法で再現することを諦めた映画デスノートは、(マンガデスノートのあの興奮を求めて見ると)まったくもって面白くない。ストーリー展開が単調で、デスノート特有の裏をかいたトリックやデスノートの仕組みを使ったキラのあぶり出しなどはない。が故に、登場人物の思考のあらが目につく。プランBもなく作戦実行。敵に丸腰で突っ込んでいく。敵側も敵側で出たとこ勝負で待ち構えている。というのが気になりすぎて、もはや内容などは入ってこないレベルで面白くない。(※ 特に、ノートの所有権を偶発的に取り戻すような計画になってしまっているという点が致命的。マンガデスノートだったら自分の行動をプログラム化して絶対に安全な状態でしか所有権を取り戻せないようにするみたいなことやっていたはずだけど、映画デスノートではそういった計画がなさすぎて何度も危機に陥りそうになる。)
ただ、このつまらなさには関係者にマンガデスノートファンが一人でもいたら気づけているはずで、宣伝第二波に、マンガデスノートファンのもどかしさをうまく利用してくるのかもなと注目している。具体的には、発声可能上映で客から総ツッコミさせるとか、自宅で一時停止しながらあーでもないこーでもない言える用に上映同時DVD販売するとか。「僕の考えた頭のいい映画デスノート」をネット上で盛り上げてくれてもいいと思う。そのために冒頭30分くらい無料で公開しちゃったりして。もはや原作からするとありえねーだろ!という”あら”を逆に楽しむという路線も楽しそう。
「東出かっこいいし、ノートで殺すとか頭良さそうだし、友情アツいし、おもしろいからそれでいいじゃん!」層が支えてくれる日本の映画市場に受け入れてもらえれば制作した人たちは一安心なんだろうな。前回までの映画デスノートの反響とか収益とか振り返ったうえで「映画という媒体で、あの頭脳戦を表現するのは無理」として、こういった方針に切り替えたのだと推測されるけど、逆にもっと原作ファンを喜ばせる方に寄せるという方針もあったはずで、次回作はそちらに期待したい。そうやって限界突破していくことで、デビッドフィンチャーが「Crazy Japanese! So cool.」と金の指輪で木の机を2回ノックしてくれるような、クレイジージャパニーズミステリーサスペンスが生まれるのではないだろうか。