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Site icon imageちちもブログ

日々の徒然

ポケモンGOが自分に与えてくれたのは「錯覚した充実感」だった。

ご多分に漏れずポケモンGOを遊び倒している。ちょっと時間があると、ついつい起動して、ついつい外に出てみたりしてしまう。ちなみに今はまだレベル10。一番強いポケモンはピジョット。ポッポのアメが手に入りやすいから強化もしやすい。

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ビジネス上ではこういった活用が出来るだろうというという記事や、こういう機能があればもっとずっと遊び倒せるだろうという記事がたくさん出てきていて面白い。

ポケモンをトレードできたり、コンプ欲を刺激するためオリジナルポケモン作ったり、すれ違い対戦できたり、「新宿でニャースを捕まえろ」的なクエストできてレアアイテムもらえたり、などなど。

特にTakayuki FukatsuさんのポケモンGOに関する洞察は(この方はこれだけにとどまらないけれど)悔しいレベルで興味深い。ポケモンGOの最大の課題は「中期ゴールの欠如」で、これが原因で1〜2週間すると一気に離脱率が高まると思われ。短期ゴールとして「目の前のポケモン捕獲」、長期ゴールとして「ポケモンコンプ」があるが、数日〜数週間サイクルの中期ゴール要素がないので、一般人はレベル10ぐらいからダレる。

ポケモンGOは、「あなたの周囲にレアポケモンが出たよ」ってプッシュ通知に課金したらとんでも無いことになりそうだな。

ポケモンGoは本質的にはゲームではなくて、射幸性が追加されたスタンプラリーに近いな。

サービス考察系で面白いのは、NIANTICのIngressのデータの話。この話好き。

イングレスは実は位置情報ゲームにおけるOSでありプラットフォームでありデーター収集装置なんですよね。あれを単体のゲームとして評価することに意味がないわけです。イングレスユーザーが日々足を棒にしてイングレスをプレイし、ポータルを申請し、位置情報ゲームにおける問題を見つけ、フィードバックしたことで、ナイアンティックは今から他の誰かが追いつこうと思っても永遠に追いつけないだろうと思えるほどの位置情報の具体的な生のデータを大量に収集することができているわけです。

個人的に気になっているのは(期待しているのは)アップデートで省電力機能が実装されないかなという部分。技術的なチャレンジが伴うやつ。

ちょっと詳しくないのでどこまで現実味(意味)のある話かわからないけど、10人が10回全体合計100回位置情報をサーバーから取得するものを、BLEのP2P通信を活用して(これが位置情報取得より電力を使わないという前提で。若干精度が落ちるかもしれないが)10人が順に1回ずつ全体合計10回位置情報をサーバーから取得して、取得した順に近くの端末(スマホ)に位置情報を共有するようにすれば、総電池消費量は減るんじゃないかなとか。結局その近接通信の順番決めるロジックを動かすために余分に電池消費しちゃったり、ポケモンGO人口密度が低い地域では使いものにならなかったりとかしそうだけども。もしくは大都市にはビーコンばらまくとか。リアル店舗の広告とかと連動したら無くはなさそう。モバイルバッテリー安いからこの手の話はそっちで解決すればいいやとかなりそうだけど。

そんなこんなで連日ニュースやネットですごいすごいと言われて、つられてなんとなくやってしまうポケモンGO。

個人的には、ユーザーがどういった欲求で、何を求めてポケモンGOをやってしまうのか、こんだけ流行っているんだからワケがあるはずだ、という部分に興味が湧いてちょっと考えてみたのでメモ。

それこそ人それぞれだろうけど、自分で触ってみた実感だと、ポケモンGOをやりたくなる理由は次の3つに集約される気がしている。

  • 現実世界の「移動」が、ゲームプレイ時間後の虚無感を薄れさせている。
  • ゲーム上達に日常生活でも役に立つ「行動・実行」能力が求められるため、自慢するときの喜びが増強されている。自慢しやすい。
  • 流行しているが故に、ゲームに詳しいことは情報強者であることに等しい。

「現実世界の「移動」が、ゲームプレイ時間後の虚無感を薄れさせている。」について。

ゲーム全般に言えることではあるんだけれども、ゲームをプレイすることで、本来はやるべきだけど面倒で辛い生産(人生)活動から逃れ、(生産活動ではないが)(自分の人生にとって)そこそこ良い、楽しい時間を過ごしたと思い込むことが出来る。だけどその後に襲ってくるのは、それが現実への影響はほとんど有していないという事実。無駄な時間だったと思うことも少なくない。(まあ楽しかったからいいじゃんと思えばそれまでだけど。)

これがポケモンGOでは、現実世界での移動をゲームコントローラーにしているため、この虚無感をうまく隠蔽することに成功している。暇な時間がもっともらしい、空虚ではない充実した内容で潰せたような気がしてくる。

これは旅行に近い。旅行って実は自分の価値観や生活に大きくは影響を及ぼしていなかったり、人生において目に見える大きな収穫がなかったりするけど、良かったと思える事が多い。それは知らない土地や地域を知ること自体が人間の本能的欲求になっているからだと思う。更にいうと、人間は歩くことに喜びを感じる生物であり、そのように設計されているからこそ、人間の先祖は新しいユートピアを開拓し続ける事が可能で、現在の人間生活がある。

でも実は、そんな単純な欲求である「歩くこと」ひとつ取っても、簡単に実施できない事情がある。歩くことが現代人にとってはとても退屈だからだ。散歩をするにも創造力がないと面白くない。そしてその創造力を多くの人が常には持ちえていない。(考え事をしたりするときは不思議と歩けたりするのはこれに関連していると考えている。)ポケモンGOは歩くことに対して面白みを、歩くこと自体に動機を作ってくれるので、あらゆる人が創造力を持ちあわせていなくとも歩くことを楽しめる。もちろん「移動」をコントローラーにすることができたのは、それを支える細やかな地図情報が優位性としてあったからだと思う。

「ゲーム上達に日常生活でも役に立つ「行動・実行」能力が求められるため、自慢するときの喜びが増強されている。自慢しやすい。」について。

ポケモンGOでゲームを進めるには、「普段は行かないようなところに行き」「どこにいるかもわからないポケモンを探しだし」「家に持ち帰る(帰宅)」することが必要である。これはまさしく「狩り」であり、これが出来るということは、人間としての行動力や計画力、冒険心などが備わっていること指し示している。役に立たないゲームスキルではなく、移動能力、相当なやりこみ能力(根性)、そしてこんな単純なことに時間と労力を費やす若干の狂気といった、現実世界で一定評価されるスキルが必要とされるのがポイントである。(「あいつクレイジーだぜ」って思われるのって嬉しいと思う。特別感があるし、今なら競争心が煽られるし。)

これが非現実で完結してしまうゲームとポケモンGOの大きな違いだと思う。

さらにユーザーがキャズムを超えたことで一般大衆の視線を浴びやすくなっており、普段の現実では満たされることが稀有な現実の自分の能力に裏打ちされた自己承認がなされる。対象がゲームであるため、現実世界の能力をストレートに自慢するよりも自慢しやすいというのもある。

一時期(まあ今もいるが)一眼レフカメラを持ち歩いてそこらで撮った夕焼けの写真をSNSにアップしている人が満たしていたものも同じものだと思う。日常生活では評価されにくい、感受性の高さや、環境に対する気付きのアンテナ感度(俗にいうセンス)の良さをさりげなく自慢できる。日頃生活しているフィールドでは露呈しにくいゲーム的な能力で自己顕示が出来るという点ではソーシャルゲームやオンラインゲームと同じ構造を有しているとも思う。この2つの中間がポケモンGOで満たされる自己承認欲求なんじゃないかなと思う。

「流行しているが故に、ゲームに詳しいことは情報強者であることに等しい。」について。

これは簡単にいうと、非リアのリア充への反逆である。(これは流行している時のみ有効だけど)世間一般の共通話題ができ、あらゆる人が夢中になってポケモンを集めている。そしてポケモンGOに関する情報価値が高騰しており、ゲームをやりこむことで誰でも情報強者になれる。

ポケモンGOは、ゲーム好きの非リア(ヲタ)だけが強いわけではなくて、移動が多いビジネスマン(リア充)だったり、デート中の学生カップル(リア充)だったりが、ながらでプレイできる。これがリア充、非リアともに同じポケモンGOという土俵に連れ出すことに成功していて、ヲタは持ち前の狂気じみたやりこみでリア充爆発しろ欲求に対するカタルシスを得られる。リアル世界ではなかなか起こりえない下克上が起きていて、キャズム超えた要因の一つだとも思う。あらゆる人が楽しめる、勝負できる、やる目的を持てる。ヲタって若干恐れられるくらい驚かれたほうが嬉しいんだよね、きっと。狂気的なやりこみに対する、ちょっと引いた尊敬的な。

さてここまで書いておいていうものなんだけど、上記ひっくるめて全て錯覚でしかないと思っている。テレビゲームと同じで、ゲーム内でどれだけ強くなっても、現実では自分は1ミリも強くなっていない。リアルな移動が必要で、リアルな出会い、リアルな現場の情報収集機会があるので、実は現実の自分は多少強くなっているという点においては多少のアドバンテージはあるが(今後の人間生活に役に立つ情報が手に入っている。)、それも家で寝てるよりはマシというレベルのものでしかないと思う。

だが、このちょっとした一石二鳥感が、ある意味、たちが悪く、これこそが、猫も杓子もこぞってポケモンGOにハマってしまう原因だと思っている。ゲームだけど勉強になる、ためになる、現実世界でもさっきよりはマシな状態になったという微妙なエクスキューズが通用してしまう。やめられない。なぜならゲームは本来的にはそれがラクで楽しい活動であるように設計されているからだ。

ポケモンGOは現実世界で人間に求める入力努力量のバランスが絶妙なんだと思う。位置情報が操作できる課金アイテムとか入れた瞬間に面白さが崩壊しそうだし、ポケモンがトレードできないことで更に、これを増強しているようにも思える。

これらをひっくるめて「錯覚した充実感」といいたい。もちろんゲームとしてのおもしろさは全く健在だし、自慢したいし、コンプするのは楽しい。でも一度こういう視点で捉えてしまうと実際(「俺って何のためにポケモン集めてるんだっけ」という視点ができてしまうと)興ざめしてしまうのも事実。

とかつらつら考えてみたことを書いてみたけど、そろそろ雨もやんだことだし、近くのコンビニまでアイス買うついでにポケモン捕まえに行くかな。